次楽の記録と記憶

妻と離婚調停・面会交流調停中の男です。三児の父親です。まさか自分がこのような状況になるなんて夢にも思っていませんでした。誰かに話を聞いてもらいたいのと、記憶の整理と記録のためアカウントを作成しました。少しずつ吐き出していこうと思います。

話にならない話し合い

前回の更新から、約9ヶ月近く経ってしまいました。面会交流調停が不調に終わり、審判を待っている状況です。思い出すのが本当に辛いですが、当時の日記を見ながら記録に残していきます。

 

2019年1月26日土曜日、妻と駅にあるカフェで会いました。私は約束していた、子供手当てを貯金していた子供たちの通帳を見せてほしいと話しました。妻の第一声は「通帳のコピーや写真はやめて」でした。ここでも、証拠を渡さないという意思を示しているのだと思いました。

 

内容を確認すると、子供たち3人の口座からは、子どもたちのために貯めていると言いながら、ちょこちょことお金の引き出しの履歴が記帳されていました。その額は毎月のように2万円や3万円、大きい金額だと8万円や9万円と言うものもありました。

(後に通帳のコピーを入手しましたが、引き出されていた金額の合計はそれぞれ、969,000円、187,000円、241,000円、合計で1,397,000円でした。私の給料や、妻の給料以外に、これだけの金額を使っていました。)

 

とは言うものの、私にとってはそんな事はどうでもよく、「どうか子供たちに会わせて欲しい。」とお願いしました。

すると妻は「子供たちに会ってはダメとは言っていない。」とお決まりの返事でした。

そうであればすぐにでも子供たちに会わせてほしいと何度もお願いをしましたがはぐらかすばかり。
そこで私は「昨日の朝、マンションで(長男)に会った。お父さんのことを嫌いになってなんかいない、またみんな一緒に暮らしたいと言ってくれた。子どもたちもかわいそう。なので会わせて欲しい。」と妻に伝えました。
すると妻は激昂し、「なんでそんなことをするんだ!!」大きい声で叫び、私の引き止めも聞かず、そのまま店から出て行ってしまいました。全く話になりませんでした。

会ってはダメとは言っていないと言いながら、会ったことを話すと激怒する。全く話の筋が通っていませんでした。

私は、隣のテーブルに座っていたおばさんに白い目で見られながら、店を後にしました。

 

妻は、自分の思い通りにならなければすぐに怒りだし、手のつけられない状況になることを改めて感じました。