次楽の記録と記憶

妻と離婚調停・面会交流調停中の男です。三児の父親です。まさか自分がこのような状況になるなんて夢にも思っていませんでした。誰かに話を聞いてもらいたいのと、記憶の整理と記録のためアカウントを作成しました。少しずつ吐き出していこうと思います。

怒っていた理由

2018年11月某日。

マンションに来ました。部屋に入ると、リビングに妻がいました。子どもたちは義父母にあずかってもらったようでした。

テーブルの椅子に対面で座りました。そのまま30分くらい無言の時間が続きました。

交渉術のひとつで、沈黙によって相手を不安にさせて、相手に非があると思わせることで、自分を優位な立場に置いて話を進める方法がありますが、それを思い出させました。それを意図してやっていたのかは分かりませんが、妻が「話をする」と言って呼び出しておいて、自分からは一言も切り出さない。

しかしながら、ずっとこの状態では何も進まないので、私から「あれから色々考えた。気に入らないことがあったのなら謝りたい。本当にごめん。理由を教えてほしい。」と切り出すと、「色々考えたって言うけど、何が理由だか分かったの?まずはそれを言ってみて。」と返ってきました。私は今までの結婚生活で、自分が悪かったと思うところを長い時間をかけて伝えました。その途中途中で、「他にはないの?」、「それだけ?」など責められました。

今になって考えると、自分(妻)は大して何とも思ってなかったようなことでも、相手(私)が悪かったかもしれないと思っていることを、細かいところまで炙り出して、自分の攻めの手札にするようなやり方でした。

 

数十分は話したと思います。ひと通り私の話が終わった後、ようやく妻から怒っている理由を聞くことができました。

 

いくつかは、私がそうではないかと考えた理由とほぼ同じ内容でしたが、いくつかは思ってもいないような理由でした。

主な理由は次の5つでした。

 

1.妻が交通事故を起こした時、妻の身体を心配していなかった

2.義父の身体のことを心配していなかった

3.毎月の家計が足りなかった

4.ここ1、2年、子ども手当を渡してくれていない

5.今までの結婚生活、私のことをずっと怖いと思っていた

 

この他にも、色々細かいことを言われましたが、今回の引き金になったのは1と2だと言われました。

最初こそ少し反論しましたが、ここで言い合いになってしまったら、それこそ収拾がつかなくなってしまうと思い、妻の話をじっと黙って聞いていました。

そして、「心を落ち着かせるため、少し離れて暮らしたい。あなたは実家に帰ってもらっていい。」と言われました。

「あなたが実家に行かないのであれば、子ども達を連れて自分が実家に帰る。小学校や保育園への送り迎えは、義父母がやると言っている。」とも言われ、実家から通うとなると子ども達の生活にも支障が出る(義実家は片道45分くらいかかる)と思い、私が出ていくしか選択肢はありませんでした。

 

最後に私は「そんなふうに思っていたなんて、全く思いもしなかった。本当に申し訳なかった。本当にごめん。もし、もう一度やり直すことができたら、二度とそんな思いはさせないから。」と伝えました。妻は無反応でした。

 

私はこの日から、同じ市内にある自分の実家で生活することになりました。

 

妻が言った「怒っていた理由」に対して、私にも悪いところはあったと思いますが、当然、私自身の言い分もあります。

次以降の記事で、それを吐き出させて欲しい。また、その他細かい理由についても記録しておきたいと思います。