次楽の記録と記憶

妻と離婚調停・面会交流調停中の男です。三児の父親です。まさか自分がこのような状況になるなんて夢にも思っていませんでした。誰かに話を聞いてもらいたいのと、記憶の整理と記録のためアカウントを作成しました。少しずつ吐き出していこうと思います。

妻からのネグレクト

ことの始まりは、去年2018年10月に遡ります。

ある日を境に突然、家庭内で妻に無視をされるようになりました。子供たちは普通に接してくれますが、妻は私が話し掛けても何も答えてくれず、何か怒っている感じでした。私には何も思い当たる節が無く、理由が全く分かりませんでした。

「何で怒ってるのか教えてほしい、おれが何かやってしまったのなら謝りたい。」と言っても、妻は「今は何も話したくない。」としか言わない。「今はということは、時間が経てば話してくれるの?。それなら話してくれる気になるまで待つよ。」と言って、この針のむしろのような状況を我慢していました。

 

1週間が経ち、「まだ話してくれない?」「…」、2週間が経ち、「まだ話す気になれないのかな。」「…」、3週間が経ち、「まだ無理?」「…」と、何も状況が変わりませんでした。こんなことは初めてだったので、「いきなり極端な結論を出すのはやめて欲しい。まずは話しをしてくれないか。」と伝えていましたが何も返事はなく、怒っている理由も分からないので、何をしていいのかもわからず、途方に暮れていました。

この間、妻の母親には何度か電話をして、何か理由を聞いていないかを尋ねましたが、「私たちにも何も話をしてくれない。」とのことでした。

 

ついに1ヶ月が経過。さすがに子供たちも、私たちが何かおかしいと気付き始めていました。特に長男は、自分に原因があるのではないかと感じたようで、普段は言われなければやらない宿題や通信教材を、毎日自分からやるようになりました。

これ以上、この状況でいるのは子供たちの心にも悪い影響があると思い、子供たちが寝静まった夜中に、「もう1ヶ月が経ったけど、何も状況が変わらない。お願いだから今日こそは理由を教えてほしい。なんで何も話してくれないの?」となるべく機嫌を損ねないように伝えました。

すると、妻は急にブチ切れて「話したくないからに決まってんだろ!!」と大声で叫び、続けて、「もう我慢できない、実家に帰る!」と言って、寝ている子供たちを叩き起こして、実家に帰る準備を始めました。子供たちは眠い目をこすりながら、今にも泣きそうになっていました。

 

しかしながら、妻はその日、夜にお酒を飲んでいたので、車を運転できないことに気付き、母親に電話をして「もう我慢できないから迎えに来て」(妻の実家は車で45分程度)と言っていました。

私は「何でこうなってしまったのか教えて欲しい。本当にごめん。冷静になって欲しい。」とお願いしました。

その時、泣きそうになっている子供たちの姿を見てハッと我に返りました。自分が出て行けばいいんだと。

すぐに妻の母親に電話を掛け、子供たちがかわいそうなので、とりあえず私が家を出ることを伝えようとしましたが、出てくれず。

妻にそのことを伝えると、妻はすぐに母親に電話してその旨を伝えていました。

 


母親にも無視されていました。

 


わけもわからず、すぐにスーツを着て、通勤用のバッグと財布とシェーバーと歯ブラシ程度の荷物を持って家を出ました。平日夜中の1時過ぎ…。

駅前の漫画喫茶で夜を明かし、その足で会社に向かいました。数日間、漫画喫茶で寝泊まりしました。

その間、何が理由なのかも分からないけれど、妻には怒らせてしまったことを謝罪したり、母親には無視されているので、妻の父親に電話して、何とか妻の気持ちを解してくれないか、間を取り持ってくれないか、ということをお願いしたりしました。それでも状況は変わりませんでした。

数日後、ようやく妻から一通のLINEが届きました。

 

「話をしようと思いますので、11月◯日◯時に、マンションに来て下さい。」

 

ようやく話ができる、理由が聞けると思いました。