次楽の記録と記憶

妻と離婚調停・面会交流調停中の男です。三児の父親です。まさか自分がこのような状況になるなんて夢にも思っていませんでした。誰かに話を聞いてもらいたいのと、記憶の整理と記録のためアカウントを作成しました。少しずつ吐き出していこうと思います。

再度の話し合いの拒否

本筋に戻ります。

別居直前の話し合いで、色々なことを言われましたが、私は反論はせず謝罪だけをしました。妻は「明後日までに出て行ってくれ」と言い残し、マンションを後にしました。

 

私は、家を出て行く前にまずはお金の問題を何とか解決しようと、結婚前に貯めていた貯金の残り全てのお金20万円をおろして、マンションのテーブルに置いておきました。またそこには手紙も添えて、本当に申し訳なかったこと、今後の家計のやり繰りは全て妻に任せること、今まで持ち株で積み立ててきたお金を解約して全て渡すこと、その解約の時期が年を明けて1月になることを伝えました。

私が家を出て2日後に、妻からLINEが届いていました。お金は受け取ったが、子供手当てはどうなっているんだと言う内容でした。私は、今渡すことができるお金はそれで全てであること、1月にならないと持ち株のお金は渡せないこと、持ち株をやっていた理由(持ち株をやるだけで会社から15%の補助金が出ること)、妻に辛い思いをさせて申し訳なかったこと、子どもたちが心配なことを返信しました。妻からは返事はありませんでした。

 

私は子供たちのことが本当に心配でした。外の組織に出向していたここ3年間(この時はまだ出向中)は、保育園の受け入れ時間前の電車に乗らなければならず、下の子2人の保育園への送りを妻にお願いせざるをえませんでしたが、それまでは毎日私が子どもたちの保育園への送りをやっていました。子供たちが小さい頃は、毎朝ミルクもあげ、オムツも取り替え、ご飯も食べさせていました。普通の家庭の父親より、家事や育児を積極的に取り組んでいたと胸を張って言える自信があります。私はそんな子供たちと離れ離れにされることが、本当に悲しくて勝手に涙が出てきました。

 

しかし、泣いていても何も解決しないと思いました。元の生活に戻るため、やれることをやろうと思いました。

まずは義父母に話を聞いてもらい、どうにか協力してもらい、もう一度妻と話し合いの場を設けてもらうこと、元に戻るための手助けをしてもらうことを考えました。義父に電話をし、私がどのようなことを考え、家計の状況がどうなっていたのかなど、話を聞いてもらえないかと言ったところ、それは我々に話すことではなく妻に話すことだと言われました。私は確かにその通りだと思い、別居から1週間ほど経った後、妻にLINEをしました。今私が思っている反省と後悔と謝罪、今後の決意、妻が私に怒っていた理由に対して、その時私がどういうことを思っていたのか、どういうことを考えていたのかを聞いてほしい、もう一度直接会って話を聞いてもらえないかと言うことを伝えました。妻からの返事は、「お会いすることはできません。」と言う他人行儀な口調での一文のみでした。