次楽の記録と記憶

妻と離婚調停・面会交流調停中の男です。三児の父親です。まさか自分がこのような状況になるなんて夢にも思っていませんでした。誰かに話を聞いてもらいたいのと、記憶の整理と記録のためアカウントを作成しました。少しずつ吐き出していこうと思います。

私にとっての連れ去られの日

2019年7月18日木曜日、第一回目の離婚調停出席しました。この調停の前日に、妻の代理人から書面が届いたとのことで、調停の当日に私の弁護士からその書類を受け取りました。

それによると、7月17日水曜日に妻と子供たちはマンションを退去したとの事でした。事前に何の連絡もありませんでした。

 

その状況で、調停に臨みました。調停委員は、面会交流調停の方々と同じ顔ぶれでした。私は調停委員に対して、家計の状況(妻は生活費が足りないと言っていたこと)、"見える人"の話などを再度しました。調停委員は「お金については、我々もおかしいと思うところがある。子供の生活を見ているのに、そのような状況ではまずいと思っている。」と言ってもらえた。「しかし、まずは8月6日の試行的面会が滞りなく実施されることを優先するので、今の話は相手方にはしない。」とのことでした。

子供たちは転校させてしまったのかと言う質問に対しては、させていないとの事でした。私にとって、それが唯一の救いでした。他に部屋を借りたのか、実家に行ってしまったのか等は不明でした。

私の弁護士によると、退去の理由は婚姻費用とマンションのローンと管理費とで、私に対して金銭的な負荷を二重にかけ、離婚の方向に進むようにしているのだろうとの事でした。もう一つは、復縁はありえないと言うことを伝えるためではないかとも言われました。本当にもうこれで終わりなんだと悲しくなりました。

 

調停終了後、その足でマンションに行ってみると、家電や家具などほぼ全てのものがなくなっていて、ガランとした状態でした。残っていたのは、ソファーや子供たちのベッド、私たち夫婦が使っていたベッドなど、処分にお金がかかりそうなものばかりでした。これまでの預貯金は全て振り込み、次は車、家具、家電、そして子どもたち、私は全て持っていかれました。

 

この日から、私は子供たちの住んでいる場所すらわからなくなりました。