次楽の記録と記憶

妻と離婚調停・面会交流調停中の男です。三児の父親です。まさか自分がこのような状況になるなんて夢にも思っていませんでした。誰かに話を聞いてもらいたいのと、記憶の整理と記録のためアカウントを作成しました。少しずつ吐き出していこうと思います。

離婚届のサイン強要

2019年2月16日土曜日19時に、話し合いのためマンションに行きました。相手方は妻とその父親、私は母を連れて行きました。

私は、これまでのことを全てぶちまけてやろうと思っていましたが、弁護士との話の通りそれは我慢し、子供たちに会わせてもらえないので面会交流調停を申し立てた旨を伝えました。

すると妻は、「あなたの話はそれで終わりですか?そうであれば、次はこちらから。」と言い、離婚届をテーブルに出してきました。そこには妻の署名のほか、証人の欄には義父母の署名もありました。

 

ありえないと思いました。まともに話し合いをするのはこれが初めてです。この最初の話し合いの場で、離婚届を準備していました。

 

「まずは離婚届にサインをしてください。話はそれからです。」

 

と言われサインをするように強要されました。私は、ここでサインしてしまっては、もう一生子供たちに会うことはできないだろうと思いました。なので、ここでサインはできない、弁護士に相談してから決めさせてもらいたいと、何度も何度も言いましたが全く聞く耳は持たず、早くサインをしろと強要されました。

すると妻は、

「早く離婚してほしい、私は〇〇(性)を名乗るのが本当に嫌になった!離婚してもらえないのなら、私はここから飛び降りて死ぬ!

と大声で叫びながら、バルコニーに出ていきました。もう精神的におかしくなっているのではないかと思いました。
その様子を何もせず見ていると、父親がそろりそろりとゆっくり妻に寄って行き、止めに入りました。私に止めに入ってこさせて否応なしにサインさせる、そういう作戦だったのではないかとも思いました。

 

このままここにいても埒が明かない思い、私が帰ろうとすると、妻は私の右手首を掴み、義父にはソファーに座れと無理矢理、体を押さえつけられました。

「サインをするまで今日は帰さない!」

と言われました。そこから約2時間の間、私と母親は軟禁状態。私は何度も、子どもたちに会わせてもらっていない状況でサインはできないと説得をしました。

相手もようやく諦めたのか、何とか帰ることができました。

 

もう元の生活には戻れないと思いました。