次楽の記録と記憶

妻と離婚調停・面会交流調停中の男です。三児の父親です。まさか自分がこのような状況になるなんて夢にも思っていませんでした。誰かに話を聞いてもらいたいのと、記憶の整理と記録のためアカウントを作成しました。少しずつ吐き出していこうと思います。

罵詈雑言

2019年2月3日日曜日、私はこのままではもうずっと子供たちに会えないと思い、弁護士事務所に相談に行くことにしました。そして、面会交流調停を申し立てる事に決めました。

弁護士に相談する中で、今度相手方とその父母、私と私の母で話し合いをすることにしていると伝えました。その話し合いで、私は言いたいことを全て言うつもりであると弁護士に伝えました。すると弁護士は、「気持ちはわかるが、子供たちに会える状況にするためには、それはあまりお勧めできない。相手を刺激しない方が良い。」と言われました。

私は確かにその通りだと思い、全てをぶちまけるのは我慢をすることにしました。

 

一方、話し合いの日程について必ず連絡すると言っていたにもかかわらず、1週間たっても妻からは連絡が来ません。私は、「話し合いの日程は決まったか、2月9日から11日は仕事で都合が悪くなったため別の日にしてもらいたい。」とLINEを送りました。

するとすぐさま返事が来て、「10日にしたいと思っていた。仕事の帰りにでもマンションに寄ってください。」とのこと。

「申し訳ないけど、帰りも遅く、次の日の朝も早いため難しい。別の日にしてもらいたい。」

と返事を返すと、その夜に電話がかかってきました。これまで私から話をしたいと言っても拒否し続けてきた妻でしたが、自分のことになると電話をかけてきました。ふざけるなと思いましたが、そこは我慢して電話に出ました。

すると、ものすごい剣幕でまくしたてられました。

なんで無理なんだ!私は子供たちを見ているんだ!時間の都合をつけるも大変なんだ!少しはこっちの都合も考えろ!

と一方的に罵られましたが、

「私の都合も考えて欲しい。仕事で無理なので別の日にしてもらいたい。お願いします。」

と言って電話を切りました。

するとその後、何十件もの着信の嵐でした。

 

なぜこんなにも10日に執着するのか、私はピンときました。例のいわゆる"見える人"からの助言であろう、手帳に記載されていた言葉、

2月4日以降に1ヵ月単位とかで良い波長が流れてくる

これに合わせたかったのだと思います。もう何を言っても無駄かもしれない、洗脳されているのではないかと感じました。

2日後に、妻からLINEで連絡があり、2月16日土曜日19時から話し合いをすることに決まりました。

 

つづく